【閉鎖間近】叡智とソフィア

レクレーションで創作活動中です!

お富さん

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今日もセツ子は健気にスナックをオープンした。
セツ子の店は大きな道路に面していて通勤路の通り道だ。

おれはある地方から上京しこの街に移り住んだ。
ここはギリギリ広域の東京圏ではないとされている。福生やつくばも厳密にいえば東京圏ではないそうだ。

最近の若者がこの街に移り住むのはカルト的な人気を誇ったドラマがあるためだ。ジャニーズのメンバーがコミカルにこの街で生きているという内容だった。

しかしセツ子の時間はは明石家さんまが若い頃に出演していたドラマで止まっている。おれがセツ子と話しても決まってこのドラマの話をする。

内容が気になってみてネットで動画を視聴してみた。明石家さんまはフェリーでこの街から東京へ通勤していた。まだアクアラインも開通していなかったのだ。

おれはアクアラインを利用すると昭和と令和の世をタイムトリップしている感覚にとらわれる。

そういえば商店街に「お富さん」という定食屋を見つけた。幼い頃に「死んだはずだよお富さん」というメロディーをラジオかテレビで何度が聞いていて今でも直ぐにメロディーが浮かんでくる。これは昭和の初期にブームになったのだが子供にも流行してしまい教育上よくないということで放送自粛されてしまったそうだ。

不思議とこの街にいると幼少期に生きた昭和の時代が蘇ってくる。

 

東京湾アクアライン

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日本人は東京湾に東京と千葉を最短で結ぶ海底トンネルを掘ったんだ。
おそらく英仏海峡ユーロトンネルに刺激を受けたんだろう。

川崎と木更津を貫くトンネルで長さは約15キロ。
制限速度に厳しい東京の高速道路で数少なく遠慮なくスピードがだせる。

千葉に向かうと日本の半世紀前の姿も見る事が出来る。

木更津の市街を散策してみろよ。


が、それはフェイクだ。

あそこには東京よりいかれた世界がある。

おれはジャックインして宇宙に飛ばされたんだ。
まるで海底生物がうようよいる海底に一人でいて東京湾に沈められた気分だった。

また東京の首都高で時速300キロのスピードを出さなければいけないゲームもある。

まあチキンゲームだよな。一歩間違えれば即車は大破。

それに龍宮城もあるんだ。しってるか龍宮城?

日本の古い物語なんだ。子供に虐められていた亀を助けたら海底にある王国に連れていかれた。そこで接待を受けるんだ。もう一生分の楽しみだ。

 

どうやって行くのかって?

お前も行きたいのか?

 

滝川のコスモス

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赤紙が来た。あぁおれか。

小樽の高商を卒業し、少しでも実家の商売を軌道に乗せたいと名古屋の商大の大学院に進学した。このまま博士にでもなれば大学の教員にでもなれるかもしれない。そんな矢先だった。

兄は早稲田に進学し文学青年気取りで遊び歩いていたのだ。実家には神田で買いためた文物で一杯になっている。

お上は不公平なものだ。よりによっておれを選ぶのか。

この戦争も終わりが見えつつある。緒戦の破竹の勢いは終わり、徐々にアメリカに押されてきている。もうすぐフィリピンも再奪還されるだろう。

兵隊の数も足りなくなり学徒出陣で商業しか学んでいないこんなおれに矢先が刺さった。

原則的に徴兵されるのは一家に一人とされていた。おれが出兵すれば兄は生き延びることができる。

出兵する前に北海道の実家に戻る機会が与えられた。

 ※

実家に戻ると、母や妹は泣き崩れていた。

誰かがお国の為に出兵しなければいけないんだ。万歳三唱で見送ってくれとおれは頼んだ。

兄は煙草を吹かしながら「家はぼくが引き継ぐから安心してくれ」と複雑そうな表情を浮かべていた。

早稲田を卒業し兄は夕張に住んでいる。財閥系の炭鉱に事務方として就職して、網走市長の娘を嫁にもらった。もう一生安泰のようなものだ。

妹は小学校の教員となり札幌の山の手にいる。

 ※

この北海道に来てわたしたちは一体何をしてきたのだろう。この何もない原野を切り開き無理だと言われた稲作にも成功した。

駅の商店街の裏には水田が広がっている。商店街を抜けて小高い丘に登ると一面にコスモスが咲き誇っている。わたしはこのコスモスが広がる原野から街を一望するのが好きだった。

久しぶりに帰郷すると死んであの世にでも来た気分になる。

叔父たちは厳しい訓練に耐え抜き日露戦争に出向き英雄扱いを受けている。おれたちが大学まで進学できたのもその七光りのおかげのようなものだ。

おれがこの対米戦争に赴くことで家にとって名誉になるのだろうか。

 ※

犬死にするのが確実なフィリピンへの派遣が決まった。まだ軍部は203高地の奇跡を信じているのだろうか。おれたちがレイテ島やガタルカナル島に行っても戦況は変わるわけもない。

真面な神経で兵隊は過ごせるわけもなく、わたしも魔法の薬である「ヒロポン」などを愛好していた。中枢神経を興奮作用があり恐怖感が一気に吹っ飛ぶ。

こうした魔法の薬は薬局で簡単に手に入った。

 

あるヨギ・ガンバルンバの物語

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ある時、偉大なヨギの元に二人の弟子がいた。

一人はパタンジャリ、もう一人はガンバルンバと呼ばれる弟子である。

パンタジャリはヨガの行者で知る者はいない有名人。

もう一人の弟子ガンバルンバは勘違い野郎とされている。

 

ある老師の発言でガンバルンバは老師の元を去った。

パタンジャリはそのまま残り修行を続け伝説となった。

ガンバルンバは現在でも愚か者の代名詞である。

果たしてガンバルンバの判断は誤りであったのだろうか。

 

「ガンバルンバさん悟りなんていったらえらいことですよ。悪い事いわないからやめておきなさい。『何年修行しても悟れません。一生修行です』。なんていっておけばいんですよ。ほんとうに」

 

〇ギャーナ・ヨーガ

 

老師はギャーナ・ヨーガ、知識・哲学によって悟りを開こうと50年ものあいだ修行を続けていた。

ある時「来世ではきっと悟るであろう」と老師は笑いながら述べた。

きっと老師の修行方法が間違っているのだとガンバルンバは思った。

 

唯識三年、俱舎八年」という言葉があるように、10年ほど修行をすればどんな愚鈍な者も一瞥すると聞いたことがある。

半世紀以上修行しても悟れないなんてどういうことだろう。謙遜しているのだろうか。ガンバルンバは不思議だった。

 

〇ハタ・ヨーガ

 

ガンバルンバはギャーナ・ヨガの老師に別れを告げた。

そしてハタ・ヨガと呼ばれる体操をするヨガの老師と出会った。

老師は空中浮遊ができるという。

ハリドワールやリシュケシュの更に奥地、氷河が残る場所で修業をしていた。

 

氷の上で瞑想をしているのだ。

超人である事に間違いはない。

彼は悟っているのだろうか。同じ事をすれば私も悟れるのだろうか。

ガンバルンバは興味を持った。

 

修行内容は想像を絶するモノだった。

一日のカリキュラムは、逆立ち1時間以上から始まる。

座禅よりも逆立ちした方が瞑想状態が深まるという理由だ。

しかしこのハタ・ヨーガは準備体操に過ぎない。

 

その基本のカリキュラムが終わってからが本番になる。

クンダリーニ・ヨガといって骨盤深くに眠るエネルギー覚醒させるのだという。

自己流でこのヨガを行い精神障害を罹患したものが多く、故にグルの指導が必要なのだそうだ。

 

わたしはついにエネルギーが身体から湧き上がるのを感じて飛び上がって走り回った。

思考が吹っ飛び身体が制御ができない。

 

数分間のエネルギー制御不能状態を経るとグッタリとしてしまい身動きがとれなくなってしまった。

そして数時間すると元の状態に戻った。

おそらくその状態を繰り返す事により悟るのだと推測したのだが一向に変化が見られなかった。

 

「なあガンバルンバさん。あなた身体が動かなくなったらどうするんです。修行できなくなっちゃいますよ。いいんですかね。ふふふ」

 

〇マインドフルネス

 

「いや、ガンバルンバさんわたしもわかるんです。気持ちがすっごく。ぼくね禅のお寺で修業していたんですが飽き足らなくなってミャンマーにいったんです。瞑想天国ですよ。瞑想ビザなんかもあるんですよ。驚くでしょ。わたしそこにいたんです。瞑想が体系化されていてわかりやすいんです」

 

「でも本当に重要なのは瞑想の技法じゃないんだって。わたしきづきました。慈悲の瞑想です。回向のようなものなんですか。これ聞いて腰抜かしました」

 

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように

 

「あれ、どうってことないですか。いやぼくね『私』が幸せになっていいんだってビックリ仰天してしまったんですよ。人様の幸せの為に尽くさなければいけないと思い込んでいたんで」

 

「なんかねこの慈悲の瞑想を唱えると自分が仏さまになった気分になれるんです。わたしの嫌いな人、嫌っている人のためにも祈るんですもん」

 

「ここで気づいたんです。あ、これが仏さまの心境のひとつではないのかと。」

 

チベット仏教でも空性と慈悲を大切にするんです。まあ空というのはお馴染みの般若心経とかの空です。そして慈悲の心を養うのに慈悲の瞑想がいいんですよね」

 

「これでインスタントに仏さまや観音さまのみ心を疑似体験できるんですよ。ぼくたちにも」

 

 

小坪トンネル~KYOKOの場合~

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そう、逗子から小坪トンネルをぬけると鎌倉なのよ。

鎌倉にいくと別世界なのよね。

ほら逗子なんかもうビーチリゾートみたいじゃない

それがトンネルって不思議よね。

それこそ落ち武者とか出てきそうな雰囲気があるのよ。

でもお寺ばっかりあるからもう成仏されてるわよきっと。

 

だからわたしはハイランドの方にいっちゃうわね。

逗子も鎌倉も人出が多いし。

ハイランドのスーパーは静かなのよ。

それから十二所から下れば鶴岡八幡の脇から鎌倉にでられるのよ。

 

うーん、いつごろだったかしら。

大船のマンションに引っ越してからしばらくたつわね。

もう主人が亡くなってすぐに大船に引っ越したから。

これでも社長夫人だったのよ。

やっぱり逗子とか鎌倉はちょっと不便なのよ。高齢者には。

 

あの、小坪トンネルの傍の丘の家?どれくらいかしらね。

鎌倉に引っ越したのは1960年から70年かしらね。

ほんと自動車がないと不便なのよ。

バスに乗り降りするのにあの坂でしょ。

嫌になっちゃうわよ。

 

え、わたしじゃ無理よ。あの狭い道。

タクシーでもぶつけてたわよ。

それからよね。タクシーの運転手も嫌がるのよ。

あの坂をのぼるの。

 

幽霊をみたことがあるかですって。

ないわよ。そんなもの。

それよりムカデの方が気持ち悪いわよ。

あなたも住んでみなさいよ。

ムカデだらけよ。

 

あ、でもいちどだけ・・・。

 

池袋サンシャイン水族館の空飛ぶペンギンと邂逅する②

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大学生活は短かった。

過剰な夢と希望を抱えて入学して一学期で終わりを告げた。

 

誰と会ってどの科目をとったのか思い出せない。

薬のせいかもしれない。

いや思い出したくないのだ。

 

それでも数学の期末テストの光景は何度なくフラッシュバックする。

数学者になりたいという夢がまず打ち砕かれた瞬間だ。

 

手から額から汗がしみでる。わきや背中もびしょびしょだ。

全くわからないのだ。部分点もとれないかもしれない。

零点なのか。赤点どころではない。

 

東京大学理科一類に進学したのはつい3,4か月ほど前のことだった。

数学者になりたい、そう夢見ていた。数学の授業は毎週欠かさず出席していたしノートもきっちりと取っている。

それで何も問題はなかったのだ。高校までは。

 

焦るな部分点を取るんだ。東京大学の入試が遠い昔に感じられた。

 

開始30分がすぎた。

かなりの人数が涼しい顔をして答案を書き上げ教室から退出していった。

なんだか自分が酷く馬鹿に思えてきて泣きそうになってしまった。

 

<その光景を思い出すだけで泣いてしまう>

 

なぜここまで差があるのだろう。全くの想定外だった。このままでは数学科に進むことさえできない。彼らは高校で数学科だったのだろう。

 

<そうだ。わたしだってスーパーサイエンスハイスクールに進学していたら難なくあの忌々しい問題を解けたに違いない>

 

時間だ、答案を教室に提出して退室するように指示された。
ぞろりぞろりとうつむき加減で精根が尽き果てた様子で答案を出している。

わたしもそのひとりだ。
数学科だけではない理学部ではお前は落ちこぼれなのだと一学期で決められてしまったのだ。

 

これからどうすればいいのだろう。
進振り、大学2年生終了時点の成績により希望の学部を選択できる制度、でわたしに学部を選択する決定権はなくなってしまった。
頭が真っ白になった。

池袋サンシャイン水族館~空中回廊でペンギンと出会う~①

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池袋で落ち着くようになってどのくらいの時間がたったのだろう。

新宿ではだった。巨大迷路のような駅構内で何だかひどく消耗してしまうのだ。

 

池袋のジュンク堂に行く。

ジュンク堂東京芸術劇場の反対側、サンシャインシティがある東口からすぐだった。

一階から九階にエスカレーターでのぼり、九階からまたストークして一階まで下る。

そして一冊だけ本を購入する。そう選び抜かれた一冊だけなのだ。

その一冊を選ぶためにかなりの精神の集中が必要とされる。

また次の一週間までは本を買う事はできない。

 週一のルーティンになっていた。

 

ジュンク堂で一冊の本の為に魂の格闘をした後に、わたしは憩いを求めてサンシャインシティへむかう。

サンシャイン通りを歩いているとやはり若者の街なのだと実感ができる。

あの立教大学だって駅を挟んで向こう側にあるし、いくつかの他の大学もある。

なんだったら目白の学習院大学から歩いて池袋に向かってるかもしれない。学習院なら高田馬場より池袋に来るのかもしれない。

 

サンシャインシティは大人びた印象で近寄りがたい雰囲気がある。

だけど違うのだ。サンシャインシティの一本手前にはあのオタクご用達のアニメイトがあり、シティのなかにも週刊少年ジャンプのキャラクターが集結した「J-WORLD」があるのだ。

この池袋のアキバ化がわたしを安心させた。わたしは存在する事を許可された、そう感じた。

 

プリンスホテルの横のワールドインポートマートビル1階から水族館行のエレベーターに乗り込む。

エレベータが明けると空中庭園だ。

 

わたしは年間パスポートを差し出し水族館に入場する。