あるヨギ・ガンバルンバの物語
ある時、偉大なヨギの元に二人の弟子がいた。
一人はパタンジャリ、もう一人はガンバルンバと呼ばれる弟子である。
パンタジャリはヨガの行者で知る者はいない有名人。
もう一人の弟子ガンバルンバは勘違い野郎とされている。
ある老師の発言でガンバルンバは老師の元を去った。
パタンジャリはそのまま残り修行を続け伝説となった。
ガンバルンバは現在でも愚か者の代名詞である。
果たしてガンバルンバの判断は誤りであったのだろうか。
「ガンバルンバさん悟りなんていったらえらいことですよ。悪い事いわないからやめておきなさい。『何年修行しても悟れません。一生修行です』。なんていっておけばいんですよ。ほんとうに」
〇ギャーナ・ヨーガ
老師はギャーナ・ヨーガ、知識・哲学によって悟りを開こうと50年ものあいだ修行を続けていた。
ある時「来世ではきっと悟るであろう」と老師は笑いながら述べた。
きっと老師の修行方法が間違っているのだとガンバルンバは思った。
「唯識三年、俱舎八年」という言葉があるように、10年ほど修行をすればどんな愚鈍な者も一瞥すると聞いたことがある。
半世紀以上修行しても悟れないなんてどういうことだろう。謙遜しているのだろうか。ガンバルンバは不思議だった。
〇ハタ・ヨーガ
ガンバルンバはギャーナ・ヨガの老師に別れを告げた。
そしてハタ・ヨガと呼ばれる体操をするヨガの老師と出会った。
老師は空中浮遊ができるという。
ハリドワールやリシュケシュの更に奥地、氷河が残る場所で修業をしていた。
氷の上で瞑想をしているのだ。
超人である事に間違いはない。
彼は悟っているのだろうか。同じ事をすれば私も悟れるのだろうか。
ガンバルンバは興味を持った。
修行内容は想像を絶するモノだった。
一日のカリキュラムは、逆立ち1時間以上から始まる。
座禅よりも逆立ちした方が瞑想状態が深まるという理由だ。
しかしこのハタ・ヨーガは準備体操に過ぎない。
その基本のカリキュラムが終わってからが本番になる。
クンダリーニ・ヨガといって骨盤深くに眠るエネルギー覚醒させるのだという。
自己流でこのヨガを行い精神障害を罹患したものが多く、故にグルの指導が必要なのだそうだ。
わたしはついにエネルギーが身体から湧き上がるのを感じて飛び上がって走り回った。
思考が吹っ飛び身体が制御ができない。
数分間のエネルギー制御不能状態を経るとグッタリとしてしまい身動きがとれなくなってしまった。
そして数時間すると元の状態に戻った。
おそらくその状態を繰り返す事により悟るのだと推測したのだが一向に変化が見られなかった。
「なあガンバルンバさん。あなた身体が動かなくなったらどうするんです。修行できなくなっちゃいますよ。いいんですかね。ふふふ」
〇マインドフルネス
「いや、ガンバルンバさんわたしもわかるんです。気持ちがすっごく。ぼくね禅のお寺で修業していたんですが飽き足らなくなってミャンマーにいったんです。瞑想天国ですよ。瞑想ビザなんかもあるんですよ。驚くでしょ。わたしそこにいたんです。瞑想が体系化されていてわかりやすいんです」
「でも本当に重要なのは瞑想の技法じゃないんだって。わたしきづきました。慈悲の瞑想です。回向のようなものなんですか。これ聞いて腰抜かしました」
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように
「あれ、どうってことないですか。いやぼくね『私』が幸せになっていいんだってビックリ仰天してしまったんですよ。人様の幸せの為に尽くさなければいけないと思い込んでいたんで」
「なんかねこの慈悲の瞑想を唱えると自分が仏さまになった気分になれるんです。わたしの嫌いな人、嫌っている人のためにも祈るんですもん」
「ここで気づいたんです。あ、これが仏さまの心境のひとつではないのかと。」
「チベット仏教でも空性と慈悲を大切にするんです。まあ空というのはお馴染みの般若心経とかの空です。そして慈悲の心を養うのに慈悲の瞑想がいいんですよね」
「これでインスタントに仏さまや観音さまのみ心を疑似体験できるんですよ。ぼくたちにも」