滝川のコスモス
赤紙が来た。あぁおれか。
小樽の高商を卒業し、少しでも実家の商売を軌道に乗せたいと名古屋の商大の大学院に進学した。このまま博士にでもなれば大学の教員にでもなれるかもしれない。そんな矢先だった。
兄は早稲田に進学し文学青年気取りで遊び歩いていたのだ。実家には神田で買いためた文物で一杯になっている。
お上は不公平なものだ。よりによっておれを選ぶのか。
この戦争も終わりが見えつつある。緒戦の破竹の勢いは終わり、徐々にアメリカに押されてきている。もうすぐフィリピンも再奪還されるだろう。
兵隊の数も足りなくなり学徒出陣で商業しか学んでいないこんなおれに矢先が刺さった。
原則的に徴兵されるのは一家に一人とされていた。おれが出兵すれば兄は生き延びることができる。
出兵する前に北海道の実家に戻る機会が与えられた。
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実家に戻ると、母や妹は泣き崩れていた。
誰かがお国の為に出兵しなければいけないんだ。万歳三唱で見送ってくれとおれは頼んだ。
兄は煙草を吹かしながら「家はぼくが引き継ぐから安心してくれ」と複雑そうな表情を浮かべていた。
早稲田を卒業し兄は夕張に住んでいる。財閥系の炭鉱に事務方として就職して、網走市長の娘を嫁にもらった。もう一生安泰のようなものだ。
妹は小学校の教員となり札幌の山の手にいる。
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この北海道に来てわたしたちは一体何をしてきたのだろう。この何もない原野を切り開き無理だと言われた稲作にも成功した。
駅の商店街の裏には水田が広がっている。商店街を抜けて小高い丘に登ると一面にコスモスが咲き誇っている。わたしはこのコスモスが広がる原野から街を一望するのが好きだった。
久しぶりに帰郷すると死んであの世にでも来た気分になる。
叔父たちは厳しい訓練に耐え抜き日露戦争に出向き英雄扱いを受けている。おれたちが大学まで進学できたのもその七光りのおかげのようなものだ。
おれがこの対米戦争に赴くことで家にとって名誉になるのだろうか。
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犬死にするのが確実なフィリピンへの派遣が決まった。まだ軍部は203高地の奇跡を信じているのだろうか。おれたちがレイテ島やガタルカナル島に行っても戦況は変わるわけもない。
真面な神経で兵隊は過ごせるわけもなく、わたしも魔法の薬である「ヒロポン」などを愛好していた。中枢神経を興奮作用があり恐怖感が一気に吹っ飛ぶ。
こうした魔法の薬は薬局で簡単に手に入った。