【閉鎖間近】叡智とソフィア

レクレーションで創作活動中です!

ロザリオの祈りとある愛の歌

四谷にいく。

 

ふとロザリオの祈りをしようと思い立つ。
よく神父やシスターが首から下げている数珠のような聖具を用いる。
ロザリオは基本的にアベマリアの祈りの回数を数えるものだ。

 

イグナチオ教会の聖堂は封鎖されていた。
改装中とのことだ。

 

わたしの悪夢は何なのだろうか。
高齢者が最後の時を過ごす病院を辞めた頃から始まったのだ。

 

お前が悪魔だと悪魔崇拝者から最近言われた。
俺の崇拝する悪魔が天使でその悪魔を攻撃するから私は悪魔なのだという。
よくわからない倒錯したものだ。

ただカトリック教会に行くと悪の働きが強まる。不思議な感じだ。

 

ロザリオの一環、アベマリア50回を唱える。

 

途中で夢なのか映像が挿入される。
悪夢ではなく何かのサディスチョンを受ける。すぐ忘れてしまう。

 

そして最近悪化している眼の病状。

 

感染病である結膜炎が疑われたが処方されている薬では改善せずドライアイが悪化しているようだ。

眼を休ませるために処方された薬を使う。
この目薬は苦いという。

苦い目薬を想像できるだろうか。
目に爽快感を与えるとか目にしみて痛いわけではない。
苦いのである。

なんと目薬を挿すとその目薬が目から鼻を通り喉に至るというのだ。この年で初めての経験だ。

そしてその薬が苦いのである。正露丸のような苦さだ。

 

そしてしばし横になる。
だいたい寝てしまう。


するとクラシックの音楽会にいる。

 

ハリーポッターの主人公のような指揮者が楽団を指揮している。
年老いた老婆が必死にピアノを弾いている。
すると突然ヘッドバンキングを始める。
指揮者は聴衆に立つように命ずる。
突然ジャズのセッションのようになる。
老婆さらに狂ったようにピアノを引き続ける。

わたしは気が動転してしまいその場から離れる。

 

見よするとヘビメタルの悪魔のような姿形をした集団が学園祭のステージを占拠しているではないか。

 

彼らは愛の歌を絶叫する。

 

これが最近の夢の一部始終である。

 

 

【国際法の応用問題】2022年ロシアのウクライナ侵攻

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世界に影響力がある軍事大国のロシア。

冷戦終結後もイデオロギー的に欧州連合EU北大西洋条約機構NATOと対立関係にある。

冷戦時ににロシアに属していたウクライナはとEUNATOとロシアの緩衝地帯としての役割を果たしていた。

ところが19年に若干41歳の大統領がウクライナで選出される。その後14年のミンスク議定書Minsk Protocolがウクライナにより破棄され、ドローンDronによるドンバスDonbassへの軍事攻撃もありロシアとの対立が激化した。

22年2月24日にロシアは国際法51条に基づき自衛権ウクライナへ行使した。

 

(1)ロシアの自衛権の行使は正当化できるか

(2)ウクライナへの武器供与は国際法上の評価はどのようなものになるか

(3)国際法上どのように対応できるか。アメリカ、EU、中国などのこの問題に対する考え方について示せ

 

【国際法の応用問題】2022年ロシアのウクライナ侵攻

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世界に影響力がある軍事大国のロシア。

冷戦終結後もイデオロギー的にや欧州連合EU北大西洋条約機構NATOと対立関係にある。

冷戦時ににロシアに属していたウクライナはとEUNATOとロシアの緩衝地帯としての役割を果たしていた。

ところが19年に若干41歳の大統領がウクライナで選出される。その後14年のミンスク議定書Minsk Protocolがウクライナにより破棄され、ドローンDronによるドンバスDonbassへの軍事攻撃もありロシアとの対立が激化した。

22年2月24日にロシアは国際法51条に基づき自衛権ウクライナへ行使した。

 

(1)ロシアの自衛権の行使は正当化できるか

(2)ウクライナへの武器供与は国際法上の評価はどのようなものになるか

(3)国際法上どのように対応できるか。アメリカ、EU、中国などのこの問題に対する考え方について示せ

 

【2040 オメガΩポイント】上智社会福祉専門学校 所信表明

 

上智社会福祉専門学校で学ぶ機会を与えられました。以前より召命を感じており、神に感謝しております。

さて、プロテスタントの平信徒として地方教会に通っておりますと、信徒の高齢化、教会離れ、牧師の不足など問題点が多く指摘されています。また、ドラマにもなった北海道の高校なども廃校の危機が報道されており、何か既存の方法論ではなく新たなシステムのデザインが必要とされている事を強く感じており、これからわたしは上智社会福祉専門学校に入学してプロテスタントカトリックエキュメニズムを体現したいと望んでいます。

 

【2040 オメガΩポイント】短期宿泊黙想会

『「自分を愛するように、隣人を愛せよ」とありますが自分を愛する事がそもそもできていない気がします。人生で犯してきた恥や罪の前に、自分を許せないで殺したいという欲求する私すら現れ、試練や罰を望む自分もいます。だから他人にも厳しくしてしまうのかもしれません。隣人を愛するためには、自分を愛することが先決ではないのかと感じています。』

 

「昔の聖書では愛するを御大切にと書かれていたんですよ。あなたが病気の時に自分をケアするでしょ。その行為そのものが自分を愛することなのよ。だって、病気なら奉仕活動もできないよね」。シスターは慈愛の表情を浮かべ述べた。

 

 ※

 

2階の食堂では神父やシスター、そして参加している信徒たちが食事を共にしている。食事自体は簡素なもので学校の給食のようだ。基本的に食事は黙食で沈黙している。

 

黙想会中には聖書の簡単なレクチャーやミサの時以外は自由に修道院を利用しても構わない。初めの頃は図書館にいる事が多かったのだが、次第に自然に触れるために庭園で散歩するようになった。

 

シスターの言葉を噛み締めながら自然散策を行う。


確かに、病気の時に自分をケアする行為そのものが自分を愛しているといえるかもしれない。入浴するのも自愛なのかもしれない。

逆に、自分に鞭をふるって働き続けるのは自虐?なんか境界線が難しい。でも「愛する子を鍛錬しない親はいない。愛する子を打つ。」とある。

 

【2040 オメガΩポイント】呪術と魔術の園

私の主よ、あなたは称えられますように
  兄弟である風のために。
  また、空気と雲と晴天と
  あらゆる天候のために
  あなたは、これらによって、
  御自分の造られたものを
  扶け養われます。

アシジの聖フランシスコ

 

 

私は鎌倉の十二所にある修道院の庭にいる。日本庭園のようだ。施設の一室も和室になっており畳が置かれた部屋で祈り瞑想することができる。フリーで働く仏教の和尚の団体も年に数回この修道院を訪れてリトリートに使っている。

 

庭で私は霊操を行う。

太陽の陽射し、ポカポカした陽気、頬を撫でる風、そうした自然のなかに神の働き、み心を感じられるように。

 

「君はまだ頭で考えているのだよ。知識を詰め込み過ぎている。霊操は心で感じ、そして霊感を言葉に落とし心の底から納得できるようにならなければ」。

 

シルゴ神父や信徒の世話人から再三と注意される。私はプロテスタント的な在り方であるスーパスティション迷信を排斥し、知性や理性を重視する理知主義的な傾向があった。そして知識の積み重ねが信仰の証とも考えていたのだ。

 

個人での霊操が終わり、シルゴ神父のいる施設の一室に向かう。室内では二人が対面して座れるような小さな机と椅子が置いてあった。

「聖書を昨日の夜に読んでいまして、シモン・ペトロがあらためて気になったんです。オリーブ山では叱責を受け、イエス様がご受難に遭われるときは、逃げてしまった。それでもイエス様のご復活に巡り逢えて、ペトロご自身がイエス様の役を演じることが出来るようになった。これこそ奇跡のように感じます。」

「イエス様と聖ペトロは男と男の人生を賭けた本気の関係なのですよ」。聖書のレクチャーを受ける。

「私はプロテスタントのままでいいのでしょうか。このまま霊操のトレーニングを続けたいのですが、カトリックへ改宗すべきでしょうか」。私は唐突に話題を切り出す。シルゴ神父少し黙想した。

「神様にお祈りしてみてください。改宗自体は簡単なことですよ」

 

【2040 オメガΩポイント】鎌倉駅東口

鎌倉駅東口。平日でも修学旅行生や観光客で賑わっているが夜間に入ると人影はまばらになる。私は鎌倉駅前には不釣り合いなマクドナルドで疲労した身体にご苦労さんと労うようにコーヒーとアップルパイを注文する。摂氏50℃のコルカタの街中を歩いていたときにマクドナルドを見つけたときは砂漠でオアシスに出会ったような感覚を持ったのを思い出した。

 

 ※

 

東口のバスロータリーから鎌倉霊園を経由して金沢八景へと向かうバスに飛び乗る。私はカトリック修道院で指導を受けるために休暇を利用して鎌倉へと訪れるようになった。日帰り、一泊二日の小旅行に丁度良く修学旅行気分も味う事ができる。木更津から川崎を結ぶ海底トンネルアクアラインを経由したり、福生から中央線に飛び乗り湘南新宿ラインを利用して片道2時間ほどかかる。

 

鎌倉の観光スポットから離れて逗子ハイランドを横目に鎌倉霊園の手前の十二所の停留所で降りる。停留所から直ぐに脇道があり修道院へと続いている。脇道は急な坂道になっており韓国人の神父はここを殉教坂と名付けたそうだ。息を切らしながら坂道を望むとハンドメイドの小さな標識に殉教坂と書かれている。

 

殉教坂を上ると修学旅行生が泊まるような旅館とホテルの中間のような華美を避けた無骨な建物がある。修道院の中庭では散歩ができる空間があり、更に小さな山へと続く脇道がありトレッキングもできる。

 

受付で登録を済ませ費用を払い客室を告げられる。施設は老朽化しているが綺麗に掃除されており設備も適切に管理されている。室内に入ると机とベットのみという簡易なものだ。日本に派遣されたイエズス会士が日本語習得まで研修を受けるために使用されていたらしい。

 

修道院ではミサに参加したり、霊操の指導を受ける事ができる。霊操の指導は神父やシスターばかりではなくトレーニングを終了し教会に認められたカトリック信徒が行う場合もあった。

 

霊操は英語では”Spiritual Exercises”である。身体に体操が必要なように魂にもエクササイズが必要ということだ。

 

霊操の指導では個人的なインタビューとして15分から30分ほど1日に2回ほど受けられる事ができる日もあった。

 

スペイン人のシルゴ神父は一人でこの大きな修道院に寝泊まりしているという。イエズス会士の宿泊施設の役割を終えて修道院は間もなく閉鎖予定とのことだ。

 

隠れ家や別荘代わりにもなるとこの気に入っていた修道院とももうお別れとなると寂しい気分だ。これから後何回ここを訪れる事ができるのだろう、そう思った。